プレスの批判に耐えられない統治者たち
トランプ集会で、BBC放送のカメラマンがトランプ支持者に襲われる事件が起きた。ほれみたことか、という気持ちである。トランプは、FOX以外の報道機関をフェイクニュース、最近では「人民の敵(Enemy of the people)」と呼んではばからないのだから。煽られて暴れる、という行為は正当化されるものではないが、起きたことにはまったく驚きはないのである。
ちょうど2週間ほど前にThe New York TimesのポッドキャストDailyを聞いていたら、社主AGサルツバーガーとトランプが面会するエピソードがあった。この二人、前にも面会したことがあった。オフレコの条件で実行された面会で、サルツバーガーがトランプのレトリックに懸念を示して、トランプがそれに耳を傾けていたのに、直後にトランプが出したツイートによって再びフェイクニュース呼ばわりされる展開になった。最近、再び、トランプから招待を受けたので、公式のインタビューを要求したら、それが通って、今回の面会になったという。というわけで出たのが、このポッドキャストである。衝撃的なのは、結局のところ、トランプがニューヨーク・タイムズに敵意を見せる理由は、「地元紙なのに褒めてくれない」ということらしい。「ニューヨーク出身なのに」とトランプが悲しそうな声を出すシーンがあった。泣き声かと思ったくらいだ。そんなことだったのか、、、、子供じゃあるまいし。その子供じみた行動のおかげで、プレスと権力の関係は回復できるのかというレヴェルで悪化しているというのに。プレスが人民のために果たす機能を、思想的に理解していないからこういうことになるのだろう。
そういえばかの国の首相も、民主党批判に「言論の自由」を盾にしていましたね。そして菅官房長官は、東京新聞の望月記者を標的にした嫌がらせをしている。どいつもこいつも、子供か。
批判に耐えることができるかというのは、統治者の成熟度(未熟さ)を露呈するよね。