Yumiko Sakuma

過去との付き合い方

Yumiko Sakuma
過去との付き合い方

母校のシスターが亡くなったというフェイスブック連絡網がきた。朝起きたときには何十件ものメッセになっていた。正直、自分が関わるという意思表示をしていないのに連絡網に勝手に加えられると、釈然としない気持ちになるのだが、亡くなったということを知りたいか知りたくないかといえば、おそらく知ったほうがいいのであろうと、ため息をつきながら軽くスクロールした。「祈る」という言葉がどんどん連なるのを見るのは、私のような無神論者にはキツい。そっとミュートした。

私は12年間、同じカトリック学校に行った。子供の頃はADHDの傾向が強く(医師に診断されたことはない)、幼稚園時代から問題児だった。親が良かれという気持ちで受けさせてくれた小学校には受かったものの、問題児のレッテルを貼られるまでには大した時間はかからなかった。問題児扱いが何年か続くと、こちらも反抗するようになる。中学の途中から、夜、本を読んだり深夜の映画を見たりするようになったので、学校ではずっと寝ていた。学校で教えてもらうことが、本が教えてくれることに対して有益であるようには思えなかった。

亡くなったというシスターの名前を見ても、正直、誰のことかわからなかったのだが、あとで確認すると写真が貼られていた。記憶が確かであれば高校時代に2年間担当されたシスターで、正直、いびり倒されたという記憶しかない。生活態度が悪かったから、内申は悪かった。成績も、英語、国語、体育以外は惨憺たるものであった。面談で「4年制の大学は受からないと思ったほうがいい」と言われ、あんまりにむかついたので猛勉強した。受験の直前に、くだんのシスターには「あなたのような人間が大学に受かるほど世の中は甘くない」的なことを言われた。大学に受かってから卒業まで、彼女は一度も私と目を合わせなかった。

こういうことは20代の後半くらいまでずいぶん根に持っていた。けれど、いつしか忘れてしまった。だから、連絡網で彼女の名前を見たときも、思い出せなかった。写真をみて、かつて黒い気持ちを持っていたことを思い出した。いつしか自分にはどうでもいいことになっていたのだ、解放されたのだとちょっとうれしかった。

連絡網の内容には、違和感を覚えた。みんなが祈っている。迷惑をかけたことが申し訳ないと言っている人もいた。感謝とか、冥福を祈る気持ちとか、みんなが表現していた感情を、一ミリも共有できなかった。小学校1年生から高校卒業までを過ごした場所には、もちろん楽しかった思い出もないわけではないのだが、だからといって深い思い入れはないし、単に、人生の一部を過ごした場所でそれ以上でもそれ以下でもない。分は冷たい人間なのだろうか、と考えてみたが、そもそも、学校に感じるべきだと教えられる帰属意識自体が苦手なのでしょうがない。

よく考えてみたら、連絡網に入っていて、コメントをしなかったのは私だけではない。もしかして同じような気持ちをもった人はいるかもなと思ったりして。私のまわりには、学校という場所が苦手だったという人のほうが多い。それをバネにしてがんばっている人もいっぱいいる。学校で落第生でも、社会で居場所を見つけることも、仲間を見つけることもできるのだ。

それにしても過去との付き合い方は難しい。人間というものは、過去を美化したり、否定したり、繰り返したり、書き換えたりする。こういうの、どうすればいいの?と、昔セラピストに聞いたら、acknowlege & move onという言葉が返ってきたことがあった。起きたことを起きたと認め、それを通過点として前に進む。言うはやすし、行うは難し、ってやつである。

備忘録:破壊的な過去との付き合い方(Mind Body Green)