意味を失いつつあるグラミー賞
山で過ごした週末、日曜日の明け方には温度が零下10度くらいまで下がったけれど、ひんやりした空気が気持ち良いので裏山に散歩に行った。コールドスプリングという小さな街に立ち寄って、夜、自宅に戻り、そういえば今日はグラミー賞だったなとストリーミングした。
グラミーは、去年、#metooという言葉が登場して数ヶ月後というタイミングに開催したにもかかわらず、あいかわらず女性やマイノリティのアーティストを軽視する権威主義的姿勢が「メモを受け取らなかったらしい」と揶揄され、おまけにその直後に偉いおじさんが出てきて「女性たちはstep upするべき(がんばるべき)」と、あたかお女性たちの受賞が少ないのはがんばりが足りないからであるような言い方をして総スカンにあっていた。総スカン、、、死語だろうか。
今回は、遅ればせながらメモを受け取ったのだろうか。アリシア・キーズをホストに起用しつつ、ドリー・パートンやダイアナ女性パフォーマーのオンパレードを用意して臨んだ。問題の賞の部分でも、Cardi BやChildish Gambinoが受賞し時代との関わりをようやく見せ始めた感がある。が、しかし、今のグラミーは、誰が出席したかより、誰が出席しなかったかのほうがおもしろい。チャイルディッシュ・ガンビーノはパフォーマンスの依頼を断ったうえに、姿を見せなかった。アリアナ・グランデもパフォーマンスしなかっただけでなく、授賞式のプロデューサーの発言を受けて、授賞式をボイコットした。ビヨンセもJay-Zも、テイラー・スウィフトもいなかった。
というわけで、「ちょっと進歩したね」という声と「相変わらず女性とマイノリティ(特にヒップホップ)に差別的」という二つの論調が交錯している。視聴率も散々だったらしい。時代の空気感を読まずに上から目線をいつまでもやっていると、こうやって時代からの要請を失っていくのです。