アジア人女性であるということ

前日のポストで、アジア人であることについて書いたけれど、アジア人の女性のくだりをサラッと書いてしまったことにひっかかりがあった。

先日の砂入さんとの会話で「アジア人の男のコたちって本当に大変よね」というくだりがあって、その背景には、女性のほうが受け入れられやすいよね、という前提だったと思うのだが、そのあと、それは本当だろうかと考え込んでしまった。そしてそれはある程度、本当だろうと思う。が、アジア人の女性であることのほうが、男性よりも楽かといえば、そこまで単純ではない。というのも、「アジア人である」に加えて「女性である」ことによるハンデは絶対あると思うから。恋愛の世界には、アジア人の女はモテるという幻想のようなものがある。世の中には、一定数、アジア人の女性を好む人口もいる。が、アジア人女性・日本人女性として生きていて思うのは、そのさらに背景には、アジア人女性は従順である、おとなしい、気立てがいいなどといった幻想もあるのだということである。モテる、ということが、一人の人間としてリスペクトされるとは必ずしも限らない。だから業界や場所によっては、やっぱり多くの女性たちがハンデと戦っているように、アジア人女性であるからこそ戦わなければいけないハンデもまたあるのです。こういうこともまた、今までは語られてこなかった。語るきっかけもなかったのだろう。それが今、#metoo以降の世の中のなかで、そして映画〈Crazy Rich Asians〉のおかげで語られるようになっているのも、進歩のひとつなのだろう。

備忘録:アジア人女性には多くの逆境がある(Tronto Star)