ウッディ・アレン問題

ウッディ・アレン問題

ウッディ・アレン問題はどう考えるかが難しい。アレンはミア・ファローと結婚していた。ミア・ファローはすでにアンドレ・プレヴィンとの間に3人の子供をもうけ、さらに3人の子供を養子にとっていた。そしてファローとプレヴィンとの結婚が終わったあとに、ミア・ファローと10年以上一緒にいた。その過程で、ミアが韓国からとった養子スンニー・プレヴィンと関係が始まった。それがバレてファローとの関係が破綻した。

離婚のどさくさの中で、でファローがさらに養子にとったディラン・ファローに性的虐待を与えた疑惑が出てきた。ディランは虐待を受けたと言っている。ファローと一度も同居したことがないとはいえ、自分のパートナーの養子と恋愛を始めたウッディを、世の中はジャッジしたが、稀代の映画監督である。アレンは映画を作り続けた。

世の中では#metooが始まった。養子にいたずらをした疑惑のあるアレンを、どう扱えばいいのか。多くの女優や俳優が、ディランの作品に出ることを拒むようになった。おまけにアレンとファローの唯一の子供であるローナン・ファローはジャーナリストに成長していて、ハーヴェイ・ワインスタインの凋落のきっかけになった記事を書いた。ローナン・ファローは、虐待があったと言っている。ディランは、ウッディ・アレンの「罪」と男たちの罪を追求する道を選んで、女性たちを代表する存在になった。

どう見ても家族の内紛である。ディランのエッセイを読めば、彼女がたどってきた辛いジャーニーに涙する。一方で、ミア・ファローが養子にとった子供のひとりモーゼスは、ディランの言う「性的暴行」があった可能性に疑問を呈し、アレンを養護している。もう何がなんだかわからない。もうずっと前に、自分に関係がないことと決めていた。

ところがここへきて、これまで公に一言も言葉を発しなかったアレンの妻スンニー・プレヴィンが、ニューヨーク・マガジンにインタビューに応えた。それでまた、ウッディ・アレン問題が世の中の一大事として取り扱われている。

この長い記事を読んだ。それでも何が起きたのかはわからない。きっと永遠に謎のままだろう。が、いくつかわかったことがある。ミア・ファローはおそらく高潔な目的意識を持っていただろうけれど、貧しい国(ベトナム、韓国など)から来た子供たちに対して白人的上から目線を持っていただろうと言うこと。そして、自分を養子にとった母親を嫌っていたかのように聞こえるスンニーが、ミアと同じように養子をとる道を選んだこと。

人間って本当に難しい。自分を養子にとった母親のパートナーを愛するにいたったスンニーに気持ちを重ねることはできなかったとはいえ、ひとつ彼女が言ったことのなかに自分の心に刺さったことがあった。以下である。

“I could definitely have children,” she says, “but I was never interested. I find it the height of vanity and very egocentric. I don’t need kids out there who have similar traits to me and look similar to me and Woody. Why is one’s DNA so special? Why would one keep on breeding when there are so many kids out there who need a loving home?”

(子供を持つことだってできた。でも興味がなかった。子供を持つことは虚栄とエゴの極地に思える。自分と似た形質を持ち、自分かウッディに似た子供を持つ必要はない。DNAがなぜそれほど特別なのか?愛のある家庭を必要とする子供たちがたくさんいるのに、なぜ繁殖する必要があるのだろう?)

ほんと。おっしゃるとおりである。実際のところ、家庭を必要としている子供が世の中にどれだけいるかと思ったら、UNICEFの推計で1億5300万人だった。この数字、一度考えてみてほしい。

これだけ家庭を必要としている子供がいる一方で、海外からアメリカにやってくる養子の数は、減っているという。これまで恵まれない子供たちを養子に出していた韓国、ガテマラ、ロシア、エチオピアといった国が海外への養子を禁じる措置をとった。悪い人たちがいるからである。

備忘録:国際養子縁組は2005年以降72%減(The Conversation)