古着の行く末
先日、deptとmotherをやっている友達のエリに、古着の倉庫に連れていってもらった。前から「買い手のつかない古着」が大量に存在することについて聞いていて、それがどれほどのものか、自分の目で確かめたいと思っていたから。いろんな場所からやってくる古着の3分の1が売れ、あと3分の1は再生される未来があるかもしれない。それでもまだ、大量な古着が誰からも求められずに溜まっていくことになる。その誰からも求められずに倉庫に存在する大量の古着の姿を目の当たりにした。こういうものをなんとかできないか、とエリは考えている。
私はヴィンテージの衣類が大好きだけれど、自分の好きな時代の古着や価値の高いものを漁ってしまう傾向にある。なんでも好きなわけではない。エリは「誰にも求められない価値の低いものでも、とても愛しい」と言った。私もエリの車で遠方の倉庫まで連れて行ってもらって、自分の目と手で確かめて、その愛情の意味がわかった。大量の古着がブロック状の塊となって積み上げられているさまに、きゅーっと胸に愛情が湧くのを感じた。一度は誰かのクローゼットに住んでいたのに、今ここにこうして眠っていることを、よしよしと慰めたいような気持ちになった。何かの役に立つ日が来るといいねって。
これまで、売れない古着はアフリカの国などに持っていかれていた。途上国では衣類が足りないから、最終的には必要とされるところに持っていけば良いと考えられていたわけである。けれどファストファッションの登場で、世の中に流通する衣類の量も倍速で増えた。そしてこうした衣類は、いつしか、アフリカ諸国でもお荷物となっている。どうするんだ。
Yumiko Sakuma