謝る被害者女性・怒号を上げる加害者男性
罷免されない限り終身のポジションである最高裁判事に指名されたカバノーに対し、15歳のときにレイプ未遂にあったというクリスティン・ブラズリー・フォード博士が、議会の公聴会で証言し、そのあとにカバノーが証言するという、ドラマチックな1日のはじまりを、サンフランシスコのホテルで迎えた。ホテルのレストランでは、スタッフもお客もテレビに釘付けになっているし、電話で公聴会の様子を見ている人の姿も見た。私も現場にいる時間以外はずっと電話とツイッターで見ていた。
17歳の辛い思い出を、こんな形で、こんな荒唐無稽な劇場で再現しないといけないなんて、フォードさんに土下座したくなった。ここにいるのは自分が望んだからではない、恐怖感でいっぱいだ、でも、市民としての義務だと思ってやってきた、そう発言したフォードさんの証言は、真実味に溢れていたし、聞いていて辛くなるものだった。トランプですら「credible(信憑性がある)」「compelling(真実味がある)」と認めたくらいだ。それに対して、共和党のジジイどもが、自発的にポリグラフ検査を受けたことはおかしいなどと言っているのを見て、つくづくこの人たちはモンスターだと思った。それに対して、ツバを飛ばして怒ったり、泣き声を上げたりするカバノーの被害者ヅラには閉口した。女性の被害者が公聴会に「ソーリー」を繰り返し、加害者(私はカバノーは100%黒だと思っています)が、被害者ヅラして怒号を上げているーーこの二人の姿は、つくづくアメリカ社会の男女の力関係を象徴している。
このプロセスのなかで、フォローしていた日本人の女性ジャーナリストが「女性の大学教授は、全員とは言わないが、話しづらい」と書いているのを見て一瞬ドン引きした。彼女も、自分も、女性の面をしているわけだから、「女性ジャーナリストはうんぬん」と言われるリスクはあるし、そう言われることも現実としてはあるだろう。が、少なくとも「女性は〜〜」と言われる前に、一人の職業人、または個としてジャッジされたいという気持ちでいつもがんばってきた。きっと彼女だってそうだろうと思って、女性同士でジャッジすんなよと思ったわけである。が、いろいろ思い出して見ると、自分だってそういう時代がなかったとは言えない。そして、このジャーナリストさんだけでなく、ソーシャルを追うと、フォードさんをジャッジしている女性たちがいくらでもいるのである。ほんとまだまだ先は長いですよ。