与えられる自分と作る自分、そして同性愛議論

与えられる自分と作る自分、そして同性愛議論

タイトルが決まらなくて走り出せない連載のことを考えている。その中で、人間が与えられる生まれながらのアイデンティティと、生まれてから作っていく自分というアイデンティティのことを、禅問答のようにうんうんとうなりながら考えている。与えられた自分と、自分が作る自分・・・

そしてそのなかで、杉田水脈という議員のLGBT人口は生産性がないという発言がずっと引っかかっている。何が引っかかるかと言うと、この人の言っていることには、セクシュアリティは選択であるというような、根本的な勘違いがあるように思うから。この人の考え方の国際感覚の欠如には呆然とするしかないのだけれど、とはいえ、欧米でも歴史的にはこういうことを言う人はいなかったわけではない。同性愛が精神病のように扱われていた時期もあるし、堕落的ライフスタイルの選択のように扱われていた時期もある。アメリカでも南部・中部の保守的な地域にはこういうことを言う人が今でもごくたまにはいる。が、ヨーロッパやカナダでは、すでに、こういう過去のLGBT差別について謝罪し、彼らの権利を守っていこうという方向にシフトしている。そして今、日本では、いまさらな差別的発言をする人がいる。それも国会に。どれだけ遅れているんだ、まったく。

今回の件を経て、2013年に世界を沸かせたニュージーランドの議員のスピーチがまた拡散されている。何度拡散されても無駄ではない。どんどん拡散しよう。

備忘録:同性婚を認めたらどうなる? 世界で賞賛された国会議員のスピーチ(HuffPost)