不用品について考える

不用品について考える

かつて結婚していた人が残した荷物の処理をするために、彼の妹と、かつて住んでいた街を訪れた。アメリカ人のご多分にもれず、彼はストレージに使わない家具やツールなどを置いていて、妹が何度も出向いて荷物を整理していた。死ぬ予定があったわけでもないので、けっこうな量の荷物が残されていて、引っ越しトラックを借りて、救世軍やグッドウィルなどといった寄付を受け付けている場所を回ったのだが、場所によって受け取ってくれるものは違うし、廃棄物を処分するにもそれなりに煩雑な手続きが必要で、物が多いのも考えものだとため息をついた。

物には心がある」という本を読みながら深く頷いていたが、この世の中には、今、廃棄するときに困ってしまうような素材で作られているものがあまりにも多すぎる。自分が死んだら、どうなってしまうのだろうか。ちょうど自宅と山の家を取材されて、物があまりに多い生活について考えていたところである。

ちなみにアメリカでは、物資を寄付すると税金の控除が受け取れるので、確定申告の時期になると人々が一斉に非営利の団体に押し寄せるという現実がある。が、ここへきてアップサイクル系のスタートアップに押されているのだという。

備忘録:不要衣類の競合登場で圧迫される非営利団体(The Boston Globe)